コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/05/25

鵜飼に想う芭蕉の名句

▼岐阜市の夏の風物詩「長良川鵜飼(うかい)」が11日夜に開幕したというニュースがあった。とくに今年は、国の重要無形民俗文化財に指定されたこともあって注目を集めたようだ。鵜舟のへさきにかがり火がともされ、6人の鵜匠が操る手縄(たなわ)の先で、鵜が水しぶきを上げてアユを追ったという。その光景はさぞや幽玄だったに違いない
▼鵜飼は、鵜を使ってアユなどを獲る漁法の一つで、その起源は古く、長良川でも1300年ほどの歴史がある。ただし、漁獲効率のよい漁法でないため、現代ではその多くが観光化されて復活したものだという
▼鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるため鮮度を保つことができる。このため、鵜飼アユは献上品として珍重され、鵜飼自体も安土桃山時代以降は幕府や各地の大名によって保護された。しかし明治維新後は、大名などの後ろ盾を失い、徐々に衰退していった
▼鵜飼と聞いて筆者が真っ先に思い起こすのが、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」という芭蕉の名句だ。鵜舟が目の前で、華やかなかがり火をたきながら鵜飼を繰り広げるとき、その面白さは頂点に達するが、やがて鵜舟が川下遠く闇の彼方へ消え去っていくときの物悲しさをうたっている
▼世に知られたこの名句から、「おもしろうてやがて悲しき○○」というフレーズは、今日でも何かの折に使われたりする。鵜飼に限らず最高潮の面白さや楽しさのあとにやってくる寂寥感を味わったことのない人はないだろう。「歓楽尽きて哀情深し」あるいは「宴の後の寂しさ」といったところだ
▼筆者もずいぶん以前に長良川の鵜舟に乗って鵜飼を観賞したことがある。数人の観光客と共に小さな屋形舟に乗り込んだまではよかったが、なぜか暗くて漁の様子がはっきり見えず、少々がっかりした記憶がある。いずれにせよ、観光化された鵜飼に今日、どれほど感興をそそられるものなのか。芭蕉が味わったような風情を感じるのは、そうたやすいことではないのかもしれない。

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