コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2015/07/27

水木しげる「出征前手記」を読む

▼漫画家・水木しげるさん(93)が73年前の太平洋戦争への出征直前に書いた手記の全文を読んだ(「新潮」8月号)。原稿用紙38枚に及ぶ新発見の資料という。死の恐怖におののき、哲学や宗教に救いを求めつつ夢を持ち続けようとする20歳の心境がつづられている。それは、時代に立ち向かう魂の叫びにほかならない
▼手記はこう始まる。〈静かな夜、書取のペンの音が響く/その背後には静かな夜のやうに死が横たわっている/この心細さよ〉。さらに〈今は考える事すらゆるされない時代だ/画家だろうと哲学者だろうと文学者だろうと労働者だろうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ〉と、戦争で将来の道を閉ざされることへの恐れが語られる
▼一方で〈いぢけるな、自分を小さくするな、俺は哲学者になる〉〈吾は死に面するとも、理想を持ちづづけん〉と、高らかに宣言。ニーチェや仏教、キリスト教への言及も多く、哲学や読書に救いを求めた。生や死の意味を分析し、反論する記述も目立つ
▼手記は出征前年の1942年10月から11月に書かれたと推察されている。水木さんはこの後、激戦地ラバウルで左腕を失いながら、九死に一生を得て帰国。紙芝居や貸本漫画を経て、「ゲゲゲの鬼太郎」など多くの名作を生み出していく
▼手記からは、芸術への並々ならぬ執着がうかがえる。〈俺は画家になる/美を基礎づけるために哲学をする。(中略)俺は哲学者になる/だが画家だ/あくまで画家だ〉。絵画への情熱が常に希望であり続けた。〈私の心の底には絵が救ってくれるかもしれないと言う心が常にある/私には本当の絶望と言うものはない〉。それは、どこに行こうと自分の道を突き進むという決意表明でもあった
▼本人はこの手記を書いたことは忘れていたというが、「何か書いていなければ不安に押しつぶされそうだった」と振り返っている。あの時代にこれほど高邁な理想を抱き、「自分でありたい」ともがき続けた水木さんの強い意志に、ただただ圧倒される。

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