コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2016/04/05

猫ブームと百閒の「ノラ」や

▼空前の猫ブームだそうである。国内の飼育数も犬を追い抜く勢いだという。かつては猫嫌いの人もそう珍しくなかったが、最近ではめっきり影をひそめた。猫が多くの人に愛されるようになったのなら結構なことだ
▼猫への思いをつづった文学作品といえば、内田百閒の「ノラや」が思い浮かぶ。動物に愛情を注げば注ぐほど、失ったときの悲しみが増すのは自然だが、「ノラや」での百閒先生の嘆きぶりはそれこそ半端でない。はたから見れば滑稽なほどだが、その悲しみは純粋さゆえに痛々しい
▼ノラは文字通り野良猫だ。気難しい百閒先生はその可愛さにはまってしまい、溺愛する。ところがある日、出ていったまま帰らない。百閒先生は心配でおろおろするばかり。「ノラや」と続編「ノラやノラや」では失踪から3か月ほどの経過が日記風に語られる
▼百閒先生はノラを想って、あられもなく泣き暮らす。夜も眠れず、仕事も手に付かない。風呂にも入らず、衰弱で目まで見えなくなる。「茶の間の境目に座っている俤(おもかげ)を思い出し、到底堪らないから又泣いて制する能わず」「ノラやと思っただけで後は涙が止まらなくなり、紙をぬらして机の下の屑籠を一ぱいにしてしまう」という具合だ
▼もちろん、ただ悲しんで手をこまねいていたわけではない。新聞広告や折込広告を出し、果ては外人向けの英字のビラまで作り、警察へも捜索願いを出す。広告やビラにはノラの特徴が列記され、「『ノラ』と呼べば、返事をします」との切ない一文も。必死の努力もむなしくノラは戻らず、作品は「ノラや、お前はもう帰って来ないのか」という悲痛な問いで締めくくられる
▼百閒先生のなりふり構わぬむき出しの感情には圧倒されるが、愛するものを失った心情は大なり小なり誰にも共通のものだろう。幼いころ飼い猫が死んで、その日は学校でもただただ悲しく、涙が止まらなかった記憶が筆者にもある。生きているとも死んでいるとも知れず猫の帰りを待ち続けた百閒先生の悲しみは痛いほどよくわかる。

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