コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2016/08/23

空襲に思う不戦の誓い

▼先週15日の「終戦の日」は、節目を迎えた戦後70年の翌年ということもあってか、メディアの扱いもいくぶん控えめだった気がする。リオ五輪の熱戦の陰に隠れてしまったきらいもある。しかし終戦からどれほど時が経ようと、不戦の誓いを新たにすべき日であることは言うまでもない
▼「未来に残す戦争の記憶」と題する特集をネットで見かけ、その内容に目を奪われた。特集中の記事「空襲の記憶と記憶」によれば、太平洋戦争の末期には日本のほぼ全域が連合軍の空襲や機銃掃射にさらされ、40万人もの命が奪われた。その記録や体験者たちの声は貴重だ
▼記録では、空襲の回数は北海道から沖縄まで合計で1035回にも及ぶ。最も多いのは東京都の297回で、次いで鹿児島県63回、千葉県と大阪府が55回、和歌山県49回と続く。千葉県は東京都と鹿児島県を除けば、大阪府と並んで最も空襲回数が多かった
▼一説によると、千葉県の被害状況は、被害市町村数12、死者数1448人、行方不明者数44人、負傷者数1909人、損失家屋数1万4181。また、破壊効果増大のための攻撃目標として順位づけされた米軍報告書(1945年7月21日)では、全国で千葉市が51位、銚子市が81位、市川市が87位にランクされている
▼県内の市町村別の空襲回数は、千葉市3回、銚子市6回、市川市12回、船橋市7回、館山市3回、木更津市15回、松戸市9回。このうち最も大きな被害が出たのは、7月7日未明のいわゆる七夕空襲だ。陸軍関係施設を含む千葉市街地そのものが空襲目標とされ、投下焼夷弾総量は約900tに及び、家屋約8900戸、面積230万㎢が焼失、死傷者は約2390人(うち死者890人、負傷者約1500人)にのぼった
▼このほか同じ千葉市の6月10日や銚子市の7月19日~20日の空襲で百人単位の死者が出たが、正確には被害の実態が明らかでないものも多い。風化しつつある戦争の記憶や記録を後世に伝えていく日として、「終戦の日」を改めて胸に刻みたい。

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