コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2017/11/21

よみがえる天才仏師「運慶」

▼日本仏像彫刻の頂点に立つ「運慶」が脚光を浴びている。都内で興福寺中金堂再建記念の特別展が開かれ、関連書籍の出版も相次ぐ。東アジアのそれまでの仏像の歴史を総合して、清新な感覚みなぎる作品を創造した天才仏師は、今なお多くの人に衝撃を与える存在だ
▼運慶は平安時代の終わり1150年ごろに仏師・康慶の子として生まれ、1223年に亡くなった。彼の生きた時代、保元の乱から承久の乱までの六十数年は、日本の古代から中世への変革期にあたり、激動の時代。鎌倉幕府との強い結びつきも活躍の背景にあったと考えられる
▼運慶と言えば、真っ先に浮かぶのが仁王像(金剛力士像)だ。江戸時代以前から運慶は各地の仁王像の作者として知られ、そうした評価は近代以後も継承されてきた。ただ、仁王像は仏像の中で位が低く、多くの仏師が本尊を作るために切磋琢磨していたことを考えると、後世の評価を知れば、本人はいささか不本意に思うかもしれない
▼そういえば夏目漱石の「夢十夜」にも、運慶が護国寺の山門で仁王像を彫っている話がある。鎌倉時代の光景を明治の人たちが眺めるというユーモラスな話だが、仁王像なのはやはり運慶の代名詞だからか
▼そこでも運慶の腕前は、明治の人たちを驚嘆させるものとして描かれる。「見物人の評判には委細頓着なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている」運慶に、見物人は「大自在の妙境に達している」と言い、「眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と語る。さほどに運慶の天才ぶりは漱石の生きた明治時代にも、今と変わらず知れ渡っていたようだ
▼ただし、江戸時代以前に運慶作と伝えられていた仏像の大半は運慶作品ではなく、最近の研究成果で判明している運慶作品はわずか三十点余と言われる。08年には米国で競売された大日如来像が運慶作品と推定されて話題を集めた。最新の科学的な調査により、運慶作品の解明がさらに進むことを期待したい。

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