コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2019/05/14

湯河原温泉の狸

▼この大型連休に神奈川県の湯河原町を訪れた。都心から程近く、万葉集にも詠まれ、明治から文豪などが逗留した温泉地として知られる。その山あいの宿でくつろいで外を眺めていると、自然豊かな木立を、丸々と太った狸が我が物顔で行き来しているではないか
▼人を怖がるふうもなく、立ち止まってはこちらを見ている。よほど人なれしているのか、食べ物でも探しに来ているのか。仲居さんに聞けば、最近頻繁に出没して困っているとのこと。「お客様にご迷惑がかかってはいけないので、駆除しようと思っているのですが」と困惑顔だ▼少々調べてみると、ここ湯河原温泉には狸と切っても切れない縁があると知った。温泉を発見したのがほかならぬ狸だとする伝説が残っている。おまけに、街のマスコットキャラクターまで狸だというから驚いた
▼温泉発見にまつわる狸の話はこうだ。駿河の国(静岡県)の三島宿の老狸が近所の山へえさを探しに出かけた折、猟師の弓矢が飛んできて、後ろ足の根元深くに突き刺さった。その痛みに耐えて逃げてきたのが湯河原の渓谷。谷の岩間から立ちのぼる湯煙を見つけ、その湯で洗うと、たちまち傷が治った
▼やがて春となり、今度は湯河原の下村に住む弥作という男が商用で三島宿から戻る折、山道に迷ってしまう。疲れで岩に身を寄せていると、美女(女郎)に化けた例の狸が現れ、玉を転がすような美しい声でささやき、岩陰で湯煙を立ててあふれる温泉へと導いた。弥作が汗に汚れた旅衣を脱ぎ捨て、湯壺に全身を沈め、思う存分体を癒すうちに、気がつけば、そこに女郎の姿は影も形もなかった
▼わが家へ戻った弥作はこの顛末を近隣の人たちに話し、以後、怨念を超えて人間に恩を施した老狸の奇特として語り継がれたという
▼湯河原の温泉街の中心にある万葉公園には、この伝説の狸をまつる「狸福神社」がある。いまや人里に出没しては厄介者の狸だが、温泉との深いゆかりを知っては、駆除に待ったをかけたい気分にもなる。

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