コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2020/01/06

笑わない男と笑いたくない男

▼昨年は、ラグビーW杯で活躍した稲垣啓太選手が「笑わない男」としてメディアに取り上げられ、「笑わない男」という言葉が流行語大賞にまでノミネートされた。メディアなど周囲が笑わせようとしても、ほとんど笑わずそのキャラクターを貫き通した稲垣選手はなかなかあっぱれだった
▼そういえば夏目漱石の随筆『硝子戸の中』にも、笑いに関する話がある。ある雑誌社の男が漱石の写真を撮りたいと言ってきた折、わざとらしく笑う自分の写真を好まない漱石は、一度は断ったものの、「当たり前の顔で構いません」というので撮影を受け入れる
▼漱石の家に来たその男は、実際に写真を撮る段になると「御約束では御座いますが、少しどうか笑って頂けますまいか」と繰り返す。ますます笑う気になれなくなった漱石だが、後日、届けられた写真はまさにその男の注文通りに笑っていた
▼漱石は呆然とし、「それがどうしても手を入れて笑っているように拵えたものとしか見えなかった」。四、五人の者にその写真を見せたが、彼らも「どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下した」
▼漱石の生きた当時、写真にそうした細工を加える技術がどれほどあったのか知らないが、とにかく漱石は、自分の笑うその写真がたいそう不快だったようだ
▼とはいえ、漱石は文中で「私は生れてから今日まで、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない」と、いささか反省の弁ともとれる言葉で受け止めている
▼漱石らしいといえば漱石らしい言いようだが、確かに今に残る漱石の写真で笑っているものはほとんど目にした記憶がない。漱石はそれほど、自分の笑っている写真を好ましくは思っていなかったのだろう
▼ただしわれわれ常人にとっては、日常生活で通常の笑みがマイナスに働くことはまずあるまい。「笑う門には福来る」ということわざもあるように、やはり適度の笑いは今年も忘れずにいたいものだ。

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