コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/02/02

ときに望ましい「締切」

▼作家の浅田次郎さんのエッセーに「このご時世でも、いつに変わらず締切はやってくる」との一文があった。職種は違えど、新聞社も日々締切に追われる事情に変わりはなく、小説家の悩みが他人事でなく身につまされる
▼ただ浅田さんの場合は「締切が迫れば面会謝絶はむろんのこと、電話もメールも受け付けぬ。書斎で事切れていてもわからぬ」とあるように、その重圧は想像をはるかに超えるものであるようだ
▼締切に追われる新聞社も同じとはいえ、こちらは当然ながら記者や編集スタッフなどとの共同作業であり、電話もメールも知らぬ存ぜぬでは済まされない。何よりも足並みをそろえる必要があるのだが、これが存外難しく、そこには作家とはまた違う苦労があったりもする
▼浅田さんはさらに「考える時間をできるかぎり長くとって、一気呵成に書き上げるという呼吸が必要」で、日ごろからコツコツと書きためておけばいいというものではないと語り、「締切は、思考と表現の正確なゴールでなければならない」と説いている
▼新聞制作においても、そのゴールは浅田さんの目指すところと大差なく、締切に追われるあまり、ともすれば拙速主義に陥りがちなわが身を顧みて、その言葉に瞠目させられる
▼海外の作家の場合、大半の作品が出版社との契約に基づく書下ろしであるため、そもそも締切がないそうで、「ここに外国の作家の理解を超えた、『締切』という『納期』が生じる」と、浅田さんは続ける
▼考えてみれば、作家や新聞社に限らず、大半の仕事や生活には、大なり小なり締切(納期)というものが存在する。建設業の場合にも工期や納期はつきものだ。そうした区切りがなければ、メリハリがつかず、前進する力も衰え、ときには不安ばかりが募る結果ともなりかねない
▼このコロナ禍でも何より不安なのは先が見通せないことだ。日常では迫られる側にとってはあまりうれしくない締切ではあるが、ことコロナに限っては一日も早く「締切」に類するものが訪れてほしい。

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