コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/05/18

謎多い「素顔」の聖徳太子

▼日本史上の偉人・聖人といえば、聖徳太子(574~622年)を真っ先に思い起こす人は少なくないだろう。今年は太子の1400年遠忌にあたり、各地で法要や関連行事が行われている。現代では優れて超人的な活躍をした人物としておなじみだが、その実像は謎に包まれ、時代とともに様々なイメージで語られてきた
▼太子は用明天皇の皇子で、政治家として叔母の推古天皇を補佐。日本初の成文法とされる十七条憲法や、役人登用に能力主義を取り入れた冠位十二階を制定し、遣隋使の派遣によって仏教を日本に広めたとされる。「お札の顔」としても日本紙幣に最多の7種類の肖像が使われた
▼「厩(馬小屋)の前で生まれてすぐに言葉を発した」「10人の話を同時に聞き分けた」などの超人伝説はよく知られるが、こうした伝説は、没後約1世紀を経て成立した「日本書紀」に登場する。平安時代以降も聖人化が進み、太子を観音菩薩の化身とする信仰も広まった
▼ところが、これらの偉業はいささか超人的すぎて、後世の創作とする説もある。太子個人の業績は十七条憲法の立案と仏典の講義や注釈、史書の編さんぐらいと見る学者もおり、史料上でも政治や外交の舞台で太子の動きはことのほか少なく、実務は豪族の蘇我馬子と協力して行ったとする説が近年では有力だ
▼戦国時代には「軍神」、江戸時代には政治や文化を先導した皇族として理想視され、戦前には十七条憲法の第3条が強調されて戦意高揚に使われた。現代においては、第1条の「和を以て貴しとなし」に示される〝和の精神〟により、平和や民主主義の象徴的な存在となっている
▼今回の1400年遠忌の法要は、現下のコロナ禍にあって、疾病退散や世界平和を祈念する場ともなった。その実像がどう変わろうとも、太子が唱えた、他人を思いやって行動する「和」の心は、今こそ真に求められるものに思われる。太子はこれまでもそうであったように、この先も人々の願いを映し出す「時代の鏡」であり続けるだろう。

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