コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/06/16

三内丸山遺跡など世界遺産に

▼青森市の縄文遺跡「三内丸山遺跡」に筆者が赴いたのは、今から20年ほど前のこと。2000年の特別史跡指定の直後で、遺跡内にはすでに大型掘立柱建物や大型竪穴建物が復元されていた。それらの建物を前に、規模の大きさや文化的な先進性に圧倒されたのを、いまでも鮮烈に覚えている▼江戸時代から知られる遺跡だったが、発掘調査が始まったのは1992年。縄文時代前期~中期の大規模な集落跡が見つかり、特別史跡指定当時にも話題となった
▼大集落の跡から数多くの竪穴式住居跡や大型竪穴式住居跡、掘立柱建物跡などが見つかり、ヒスイやコハク、黒曜石の出土で遠方との交易や、漆器の専門的な技術集団の存在などもわかってきた
▼同遺跡を含む17遺跡で構成する「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田)が、ユネスコの世界文化遺産に登録されることになり、来月16日から開かれる世界遺産委員会で正式に決定する見込みだ。登録されれば、紀元前の遺跡としては国内初となる。国内の審査で落選を重ねたこともあり、地元関係者らの喜びはひとしおだろう
▼構成遺跡には三内丸山遺跡のほか、北東アジア最古の土器が出土した「大平山元遺跡」、円形に石を並べた「大湯環状列石」などがある。これらの集落跡や貝塚などの遺構・遺物が、狩猟採集を基盤とした定住社会や複雑な精神文化を顕著に示す物証として評価された
▼自然と人間が1万年以上にわたって共生した縄文文化は、世界史的にも稀有で、高い独自性を持つ。ユネスコは世界遺産が西洋の宮殿や教会などに偏っていた反省から、先史時代の遺産の積極的な登録強化を目指しており、こうした方針が追い風になったとも考えられる
▼かつて三内丸山遺跡を見学した際には、関東地方の遺跡とずいぶん違う文化的な香りに触れ、縄文時代の日本列島が複数の地域文化圏に分かれていたことを実感した。今回の世界文化遺産登録を機に、縄文文化の多様性・地域性の研究に拍車がかかることを期待したい。

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