コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/08/03

原点に立ち返るべき五輪

▼早くも折り返し地点を過ぎた東京五輪。コロナ禍の緊急事態宣言という厳しい状況下での開催には、個人的には懐疑的だったが、いざ開幕し、選手たちの奮闘を目の当たりにすると、せめて競技の上では大過なく閉幕まで進んでほしいと願うばかりだ▼新型コロナの影響を抜きにしても、次から次へとトラブルが続いた今大会では、五輪そのものの在り方が大きく問われた。現在の形での開催が早晩立ち行かなくなるのは目に見えており、五輪の体質を根本的に見直すべき時期に来ている▼近代五輪を「平和の祭典」どころか、肥大化した商業主義の産物と指摘する声は根強い。ならば、古代のオリンピックはそもそもどうだったのか
▼競技優勝者への褒賞は、聖域に生えるオリーブの枝で作った冠だけだったという。名誉と卓越性を重視したギリシャ的理想を示す好例とされるが、それでも選手が出身都市に戻ると、莫大な金銭や多くの褒賞、税制の優遇、役職などが待っていた
▼競技場の収容人数は4万人以上と推定され、ギリシャを中心に各地からその数を超える観客が集まり、大変な人出だったというから、今回の五輪とは様相が違うにせよ、賑わいの舞台だった点では大差ない
▼ただ、紀元前4世紀後半までは観客用の宿泊施設などがなく、夏の熱気で衛生環境が劣悪化し、死者も多数出るなど、観戦するのも相当過酷だったようだ
▼ちなみに古代五輪は紀元前776年に始まり、紀元393年の第293回までとされる。大会の間隔は当時も変わらず4年。これは、暦の単位「オリュンピアス(オリュンピア紀)」によるものという
▼こうしてみていくと、近代五輪と古代五輪とは似ている部分もあれば、違う部分もある。高い理想のもとに始まった古代五輪ではあるが、すべてがすべて立ち返って学ぶべき点ばかりでないことは言うまでもない。それでも、名誉と卓越性というスポーツ本来の理想を重んじる在り方を、困難な状況下での五輪だからこそ、謙虚に見返すことが必要かもしれない。

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