コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2021/10/06

本県ゆかりの夢窓疎石

▼夢窓疎石(1275~1351)といえば、臨済宗の禅僧で、京都五山の主流を確立した名僧として名高い。30代から40代にかけて大きな寺を避け全国各地で一人修行に励んだことでも知られ、千葉県とのゆかりも深い
▼現在のいすみ市能実では1323年から2年半、庵を結んで修業に励んだ。太高寺本堂裏山の中腹には座禅をしたと伝わる洞窟があり、向かって右から左に「金毛窟」と刻まれた三文字の刻銘がある。草書がかった行書体から疎石自らの手になるものと考えられ、県指定史跡になっている
▼洞窟内には190㎝ほどの高さのところに天井板の受けが刻まれており、長時間、座禅生活を行ったことがうかがえる。現在は前面が竹林に覆われているが、洞窟内に座して眺めると、穏やかな山間の景色と農耕地が望め、座禅には格好の景観だったと考えられる
▼筆者も以前、現地を訪れたが、洞窟内の「金毛窟」の文字を目にしたときは、言いようのない感慨に襲われた。言い伝えによれば、疎石はある時、一人で座禅中に眠気に襲われ、しばらく後ろの壁にもたれて寝ようとするものの、後ろには何もなくそのまま倒れてしまった。思わず大笑いしたその時に悟りを得たという。もしやそれが「金毛窟」だったらなどと考えると、なおさらロマンが膨らむ
▼やがて疎石は1325年の51歳のとき、後醍醐天皇の強い願いでやむなくこの地を離れ、京都に上った。京都・南禅寺の住職になり、夢窓国師の号を受けた。後醍醐天皇の失脚後も、その政敵となった足利尊氏の帰依を受けている。天龍寺や西芳寺などの庭園を手がけ、詩や書道にも優れていたが、彼にとってはそのすべてが禅の実践だったと言われる
▼いすみ市の太高寺に寺宝として伝えられてきた疎石着用の袈裟(県指定文化財)が現在、同市の田園の美術館(市郷土資料館)で公開されている(17日まで)。25条袈裟と呼ばれるもので、上質な麻布製で特殊で丁寧な縫製がなされているそうだ。ぜひ現地に足を運んで、見学してみたい。

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