コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/07/08

熱海の温泉歴史

▼全国におよそ2500ある温泉地。日本人の温泉好きもむべなるかな。温泉はまさに日本独自の文化と言える。近年は温泉による町おこしが盛んで、新たな温泉の発掘も続いているが、そこには「湯治すれば病気や怪我が治り、健康を取り戻せる」という温泉信仰が今も根強い
▼都心に近い保養地の一つ、熱海もまた、温泉地としての歴史は古い。その歴史は鎌倉時代まで遡り、鎌倉幕府成立後は多くの武家や公家が湯治に訪れた。近世には徳川家康をはじめ諸大名が来湯。江戸時代中期以降は武家から町人層まで、さらに近代に至ると政治家や文化人など幅広い湯治客が訪れるようになった
▼医師・曲直瀬玄朔の「医学天正記」(1627)には、持病の喘息を治療するため熱海に逗留していた豊臣秀次を往診した記述が残り、「あえぐ声が四方に聞こえるほど苦しんだが、治療を施したところ回復した」とある。また千利休の書状には、利休自身も「あたみの湯」に入ったことが記されている
▼「豆州熱海湯治道知辺」(1695)では、病気がちな著者が宿の主人から「21日間の入湯が適当で、3廻りすれば諸病は治癒し、重い疾患でも5廻り、7廻りすれば必ず平癒する」と諭されており、元禄期の入湯法をうかがい知ることができる
▼尾張藩の儒学者・人見黍の「熱海記録」には、著者が18日間の逗留中、実に99回の入浴により持病を治したとある。また、山東京山の「熱海温泉図彙」(1832)には、「初日は朝夕の2度とし、慎重に入る。2日目から4日目にかけては食前に3度、5日目から7日目は昼4度、夜2度の6回入浴する。7日間を一廻りとし、最初の一廻りで病を治癒し、次の一廻りで体を健やかにする」と記されている
▼こうした湯治の記録からは、衛生や医療の知識が十分でなかった時代に、人々がいかに温泉の効用を重視していたかがかわる。しかも、これだけ確信めいた入湯法を連ねられると、温泉との付き合い方は案外、私たち現代人より先人たちのほうが上手かったような気がしてくる。

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