コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/12/04

波の伊八

▼千葉県に長く住む筆者でも「伊八」の名を頻繁に耳にするようになったのは、ここ10年ほどだろう。以前から地元では知る人ぞ知る存在だったが、いまやその注目度は全国区と言える。江戸時代後期に活躍した安房国長狭郡下打墨村(現・鴨川市)出身の彫刻師、初代伊八こと、武志伊八郎信由(1751~1824年)である
▼宝珠を握りしめる竜、酔っぱらった七福神、牛若丸と向き合う大天狗など、その作品は繊細さと豪快さを併せ持ち、遊び心やしゃれっ気さえ感じさせる。江戸時代中期には建築様式として欄間を飾る彫刻が流行していたが、そうした中で、伊八の作品は驚くほど革新的だったに違いない。そう考えれば、250年の時を超えて人の心を揺さぶる魅力にも納得がいく
▼伊八は代々名主を務めた武志家の5代目として生まれ、10歳の時から彫刻を始めると、躍動感と立体感あふれる横波を彫り、以来その作風を確立した。その作品は房総半島南部を中心に、東京や神奈川にも残る。実際、房総半島南部の寺社を巡れば、そこここで作品に出くわし、最近のブームも手伝ってか、現地に説明板のある個所も多い
▼通称「波の伊八」と言われるように、代名詞は「波」。その代表作が、行元寺旧書院(いすみ市)を飾る「波に宝珠」だ。伊八が太平洋の荒波を観察して彫ったと伝えられ、その躍動感たるや生き物のようだ。多くの彫刻師が競う中、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめるほど、当時からその名を知られていた。同世代に活躍した葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に強い影響を与えたとも言われ、確かにその構図や表現方法は似通っている
▼幸運にも筆者は以前、行元寺を訪れた折に、この「波に宝珠」を観る機会があった。夕暮れ近く〝大黒さん〟とおぼしき老婦人が「もう時間なのですが」と言いつつも、本堂から旧書院へと導き、丁寧に伊八の彫刻などの寺宝を説明してくださった。旧書院の欄間に収まる伊八の「波」は、言い知れぬオーラをたたえて、いまだに忘れがたい。

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