コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/01/23

フェリーチェ・ベアトに見る写真の効用

▼写真ならではの効用というべきか、まるでタイムスリップしたような気分を味わった。150年前の日本の街並みや自然、人物、風俗に遠い隔たりを感じながらも、どこか懐かしく、思わず引き込まれていた。佐倉市のDIC川村記念美術館で開催されていたフェリーチェ・ベアト(1834~1909)の写真展を観ての感想である
▼ベアトは63年、画家のワーグマンを頼りに日本に赴き、84年の離日まで、横浜を拠点に、江戸や長崎など各地で幕末から明治にかけての風景や風俗を撮影した。150年前の光景を今に伝えるそれらの写真は、海外向けの輸出品として盛んになる、いわゆる「横浜写真」の嚆矢(こうし)として高く評価されている
▼私たち現代人の目にも魅力的な彼の写真が、単に150年という時間以上に、どこか異国を見るかの距離を感じさせるのは、このイタリア系イギリス人写真家が外国人の特権を利用して、西洋人のフィルター越しにとらえた日本の姿だからに他ならない
▼それらの写真はアルバムに収められ、訪日外国人や来日できない西洋人への記念品やお土産となった。受容するのはあくまで西洋人であり、その意味では現実の客観的なイメージや幕末の日本をありのまま写し取ったものとは言えない
▼しかし、ポーズをとってそこに映る日本人たちは、一様に驚くほど小柄でありながら、その態度には卑屈さがなく、堂々とした存在感さえ示している。私たちの祖先は、文明開化以前には、西洋とは異質の文明をもち、自足していたことが分かる。今では失われてしまった過去を学べる点でも、ベアトの写真は貴重というほかはない
▼スペインの小説家フリオ・リャマサーレスは自らの少年時代の写真を題材とした短編の中で、被写体が誰でどうなっていようと、写真がある限り彼らは生き続けていくと書いている。なぜなら「写真は星のようなもので、たとえ彼らが何世紀前に死んだとしても、長い間輝き続けるからだ」と。ベアトの写真を眺めながら、そんな言葉を思い起こした。

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