コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2019/01/29

イノシシとの長く深い関係

▼亥年(いどし)も始まって、はや1か月近くが経つ。近年は害獣のイメージが強いイノシシだが、人との関係は現代の私たちが考える以上に長く深かったようだ。先史時代から食料や信仰の対象として極めて身近な存在だった
▼イノシシ形土製品は縄文時代後期から晩期にかけて列島各地で出土しており、共通する信仰の存在がうかがえる。イノシシは多産で一度に2~8頭もの子を産むことから、豊穣の象徴として縄文時代の精神世界でも尊重されていたようだ。文様としてイノシシ装飾が見られる土器もあり、土偶などの祭祀遺物とともに焼骨も出土している
▼古事記においてはヤマトタケルを倒した伊吹山の神が白猪の姿で現れるなど、古墳時代以降もイノシシを神とみる信仰は続いた。私たちの祖先がイノシシを自然そのものの象徴としてとらえ、また、単なる食料ではなく畏怖や畏敬の念を抱いていたとすれば、現代の感覚とはかなり違ったものに思える
▼イノシシ類のうち、家畜化したものがブタである。縄文時代には日本列島でイノシシの飼育が行われ、弥生時代にはすでにブタが存在していたとこれまでは考えられてきたが、その境界はいまだあいまいなようだ。弥生時代にも狩猟が行われ、ウリ坊(幼獣)を連れてきて身近に飼うこともあっただろうし、弥生時代でも食肉に特化した家畜化はまだ始まっていなかったのではないか、と考える専門家もいる
▼仏教伝来以降、上流階層などが肉食を忌避していく流れの中でも、武士や庶民の多くは肉を食べていた。食肉でとくに好まれたのは鹿で、それに続くのがイノシシだった。「シシ」は食肉の意味で、肉と言えば鹿だったので、それと区別するためにイノシシを「猪(い)のシシ」とし、その呼び名が定着したと言われる
▼人が育てた農作物も餌とするイノシシによる食害が深刻化するなか、近年ではその肉をジビエ肉として活用する動きも活発だ。イノシシの肉を食べる折には、古くから日本人の胃袋に奉仕してくれた恩恵にも思いを馳せたい。

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