コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2022/03/16

忠敬と富岡八幡宮

▼東京都江東区にある富岡八幡宮の境内に、千葉県の偉人・伊能忠敬(1745~1818)の銅像が建つ。忠敬が杖先方位盤を手に測量への第一歩を力強く踏み出す姿の像だ。忠敬の地図作りの旅は文字通りこの場所から始まったと言っても過言ではない
▼忠敬は上総国の小関(現九十九里町)の出身で、下総国の佐原(現香取市)で事業家として成功した。しかし、幼い頃からの「地球の大きさを知りたい」という夢を捨てきれず、50歳で江戸に出た
▼門前仲町に居を構え、歩測の練習を重ねながら浅草の暦局に通い、暦学や天文学を学んだ。全国測量の旅に出たのは実に55歳で、1800(寛政12)年から16(文化13)年まで17年間にわたり全国へ出向き測量を続けた。その結果、初めて実測による日本地図『大日本沿海輿地全図』(伊能図)を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした
▼自分にも他人にも厳格だったと言われる忠敬だが、55歳になって自らの夢を追い求めるあたり粘り強く、几帳面な性格で、事業家としての合理性も持ち合わせていたようだ
▼忠敬は北海道から九州まで計10回の旅のうち、遠国に出かけた8回の出発前には、門人とともに富岡八幡宮を参拝。この「深川の八幡さま」に通い、旅の安全を祈願している
▼1800年の蝦夷地測量(第1次)出発の際の日記にも、こう記されているという。「……四月十九日朝、五つ前深川出立……この日朝より小雨、昼後に止む 深川八幡宮参詣、それより両国通り……」
▼歩測による過酷な旅は数か月から長くは約2年に及び、忠敬の全旅行距離は計3万5000㎞に達する。忠敬は旅立ちのたびに、どんな思いで富岡八幡宮を参拝したのだろうか。並々ならぬ覚悟があったのは間違いない
▼話は逸れるが、富岡八幡宮では近年、宮司らによる由々しき事件が発生し、世間を騒がせた。命がけの旅に熱い願いをかけた忠敬がそのことを知ったら、どう思うだろう。200年後の今を生きる者として、忠敬の志を改めてかみしめたい。

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