コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2013/05/12

対極の失踪劇

▼誘拐や監禁であっても、行方不明となれば、人はそれを「失踪」と呼ぶのだろう―。米オハイオ州クリーブランドの民家で約10年間にわたって行方不明になっていた若い女性3人が保護された事件が先週、世界をめぐった
▼52歳の男に監禁されていたとのことだが、実態が明らかになるにつれ、女性たちがどんな精神状態で10年という年月を過ごしてきたのかを考えるだけでも胸が痛む。女性がいた家は人の住む気配もなく、隣人は空き家だと思っていたとも語っている
▼このニュースを聞いて、『緋文字』で有名なアメリカの作家ホーソーンの『ウェイクフィールド』という短編を思い起こした。さしたる理由もなく失踪した夫・ウェイクフィールドが20年後に何事もなかったように妻の待つ家に帰るという話だが、実はこの男、20年間、妻と暮らした家のあるすぐ隣の通りに一人で住み、折々、妻の様子を窺っていたのだ
▼嘘のような話だが、ホーソーンはこの短編の冒頭で、もともと新聞か何かで読んだ話、と書いているから、あながち創作とばかりは言い切れない。20世紀を先取りする形で都市における無名性を描いた作品ともいわれるが、主人公の行動には謎と曖昧さが付きまとい、世界の体系から一歩それてしまえば、誰もがこうした「追放者」になりうる可能性を秘めていると感じさせられるところが何とも怖い
▼主人公の妻に対する失踪という「仕打ち」も、米オハイオ州の事件に負けず劣らず残酷な気がするが、都市の中で隔絶されて息をひそめていなければならなかった10年は、自分の意思で都会にまぎれて生きる20年とはやはり比較にならぬ辛苦があっただろう。しかも『ウェイクフィールド』には、最後は妻のもとにあっさり戻って、再びよき夫として暮らしたといういささか能天気なオチが用意されているが、米オハイオ州の事件の場合、青春の失われた10年は決して取り戻せるものではない。筆者には、両者がある種の共通項をはらみながら、実に対極的な失踪劇のように思えてならなかった。

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