コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2018/04/24

超高層の礎築いた霞が関ビル

▼霞が関ビル(東京都千代田区)へは、足を運ぶ機会が多い。新聞業界関係の各種行事に加えて、中央の建設業界団体の催しでも会場としてよく使われる。中央省庁に近接する立地条件にも恵まれる
▼その霞が関ビルが今月12日に竣工から50年を迎えた。日本で初めての超高層ビルとして注目を集めた当初から半世紀を経た今も変わらぬ存在感を放っている。日本の街づくりはこのビルから一歩を踏み出したといっても過言ではない
▼霞が関ビルは三井不動産が手掛け、1968年に完成。地上36階建て、高さ約147mで、建設費は約163億円。現在価格にして約554億円の巨大プロジェクトだった。工事は鹿島建設らが担当した
▼当初計画では建築基準法などの高さ制限で9階建ての予定だったが、63年の法改正でビルの高層化が可能となり、日本初の超高層ビルとして誕生した。はりに六角形の穴をあけて軽量化するなど、当時の最新技術を採用。テナントに郵便局や病院などの公共施設が入り、緑地や広場などを敷地内に配するなど、ビルそのものに街の機能を備える取り組みも画期的だった
▼東京のランドマークとして人気を博し、当時36階にオープンした展望台は多い日で1日2万人以上の観光客が訪れた。東京ドームが開業するまでは、「霞が関ビル〇個分」などと容積の尺度にも使われた
▼同ビルに続く形で超高層ビルの建設が都内で相次ぎ、70年代には京王プラザホテル(170m)やサンシャイン60(240m)が建設。90年代には東京都庁第一庁舎(243m)などの公共建築にも超高層ビルが誕生した
▼都内では今後も高さ300m以上のビル計画が複数計画されており、地震が多い日本でも超高層ビルの更なる高層化が進む見通しだ
▼ビルの高さ競争ではすでに影の薄い霞が関ビルだが、狭い国土で高さに可能性を見いだし、都市の人間性を取り戻す流れを生み出した功績は大きい。色あせぬその風格からは、忘れられつつある当時の理想や志がいまも息づいていると感じられる。

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