おおらかだった日本
▼奈良県明日香村の石舞台古墳は、歴史教科書でもおなじみだから、多くの人が知る存在だろう。国の特別史跡で、今夏には世界遺産登録を目指していることもあり、その注目度はますます高まっている
▼7世紀前半に造られたわが国を代表する方墳で、被葬者は特定されていないものの、日本初の女帝となった推古天皇(在位592~628年)に仕え、飛鳥時代の有力豪族だった蘇我馬子(?~626年)の墓とする説が有力だ
▼批評家の小林秀雄(1902~83年)も石舞台古墳を訪れ、「蘇我馬子の墓」(『モオツァルト・無常という事』所収)と題する評論を残している。小林が古墳の前で、眼前の景色と、昔そこにいたであろう人々に思いをはせる様子がつづられ、随筆とも言える感動的な作品だ
▼そこには「天井石の上で、弁当を食いながら、私はしきりと懐古の情に耽った」という一文がある。古墳の上で弁当を食べるなど、今の感覚では少々驚かされるが、何とおおらかな時代だったのかとも感じる
▼周囲の景色も手伝って、弁当もどんなにかおいしかっただろうと推察するが、それだけに小林が感じた「懐古の情」も濃密なものだったに違いない
▼おおらかといえば、さら時を遡って幕末から明治にかけて日本各地の風景や風俗を撮影した英国の写真家フェリーチェ・ベアト(1832~1909年)の作品を観たときも、驚きを禁じ得なかった記憶がある
▼ベアトの作品には「鎌倉大仏」の写真が複数枚あるのだが、大仏の台座や膝の上などには武士や職人風の人が何人も乗っているのだ。一瞬、目を疑ったが、大仏の大きさと比べても、その人たちはずいぶん小さく見える。おそらくは、当時の日本人の小柄さを示すものだろう
▼小柄ながらもいかめしいポーズをとる彼らの写真を目にした時は、驚きとともに思わず笑ってしまったが、大仏に乗った彼らを不謹慎というなかれ。150年以上も経てば、時代も感覚も大きく違うはずだから、やはりそこは〝おおらか〟と表現しておきたい。