コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2014/01/13

川瀬巴水

▼大正から昭和にかけて活躍し、生誕130年を迎えた版画家、川瀬巴水。生涯に約600点の木版画を残し、何気ない風景をおだやかな絵柄に仕立てた。新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られ、「旅の版画家」「昭和の広重」とも称された。千葉市美術館で開催中の回顧展を観て、今やどこにも存在しない風景に、言いようのない郷愁を誘われた
▼巴水は、旅に出てはスケッチし、東京に戻っては版画を作るという暮らしを生涯にわたり続けた。何が好きかと聞かれれば「旅行!」と即答したという。写生の旅は全国に及んだが、そこに描かれた、いつかどこかで見た叙情的な風景には、懐かしさと同時に、失われたものの寂しさをも感じさせられる
▼千葉県にもたびたび訪れ、県内各地を描いた作品は約17点に上るという。今回展示されているのは「石積む船(房州)」「房州岩井の浜」「房州太海」「手賀沼」「市川の晩秋」「初秋の浦安」「浦安の残雪」「房州鴨川」「房州小湊」の9点で、いずれも水辺の美しい風景が描かれている
▼人生の半分を旅に費やした巴水にも何度かの転機があった。大きくは震災と戦争。関東大震災では、描きためた188冊の写生帖を失い、家も全焼した。気力を失った巴水を、版元の渡辺庄三郎が励まし、焼け残った版画を持たせて旅に送り出したという。また太平洋戦争では、海外などへの販路が閉ざされ、画材も資材統制の対象になり、制作が滞ったばかりか、気ままに写生の旅に出る自由まで奪われた
▼絶筆は1957年の平泉金色堂。ほぼ同じ構図の作品を35年ごろに無人の景色で描いているが、一人の僧侶の後ろ姿を加えた。病中のためなかなか構図が決まらず、線描きだけでも9回やり直したといわれる。しんしんと雪の降るなか石段を上る僧侶は、巴水の自画像ともいわれる。写生帖を懐に、死出の旅でも描き続けるかと思わせるその姿は、稀有な画人の絶筆にふさわしく、深い余情をたたえて、しみじみと胸に迫った。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ