コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/03/11

「人間風車」死す

▼異名がこれほどぴたりとはまる人もそうはいないだろう。元人気プロレスラーの「人間風車」こと、ビル・ロビンソン氏である。ダブルアーム・スープレックスの名手としてその異名をとった同氏が4日、米アーカンソー州で亡くなった。75歳だった。若い頃から「隠れプロレスファン」だった筆者にとって、その訃報は寂しい限りだ
▼ロビンソン氏は英マンチェスター出身で、15歳で通称「蛇の穴」と呼ばれるランカシャースタイルのジムに入門し、英国伝統のキャッチ・アズ・キャンスタイルを習得。フォール決着があり、関節技も使用可能なレスリングスタイルで、フリースタイル・レスリングや現代のプロレスの源流の一つとされる。同氏はアマチュアレスリングで数々のタイトルを獲得した後、21歳でプロレスデビューした
▼米国では一時期、悪役としても活動していたようだが、日本ではベビーフェイス(善玉)を貫いた。「外国人選手=悪役」という図式が普通だった時代に画期的なことで、正統派のレスラーとして、そのフェアな戦いぶりは善玉と悪玉が入り乱れるプロレス界で実に清々しい存在だった。いくつもの団体で名勝負を繰り広げたが、とりわけ1975年にアントニオ猪木と引き分けた試合はプロレス史に残る不朽の名勝負として知られ、いまも筆者の脳裏に鮮烈に残っている
▼多くの来日で日本ともゆかりが深かったが、引退後、2008年までの10年ほど東京の高円寺に定住して後進の指導・育成に当たっていたことは、寡聞にも知らずにいた。引退後も指導者としてあちこちを飛び回り、多くの弟子たちにその技術や精神を伝授してきたに違いない
▼生涯の最期は、自宅アパートを訪ねてきた知人がノックの音に応答がないのを不審に思って室内に入ったところ、すでに息を引き取っていたという寂しいものだったそうだ。しかし、その華麗なファイトはいつまでもファンの心に残り続けるだろう。久々に見る「人間風車」は、見事な弧を描く、芸術的なまでに美しい必殺技だった。

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