コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

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2014/03/25

解明待たれる現代の神隠し

▼人間がある日忽然と消え失せる現象を「神隠し」という。人が行方不明になったり、街や里から何の前触れもなく失踪することを、神の仕業としてとらえた概念で、古くから日本各地で使われてきた。千葉県でも、市川市八幡にある「八幡の藪知らず」は神隠しの伝承が強く残り、今も禁足地となっている
▼柳田國男の「遠野物語」にも「寒戸(さむと)の婆(ばば)」として知られる話がある。寒戸という場所の民家から若い娘が行方知れずになり、30年余り過ぎた風の激しい日に、親戚や知人たちがその家へ集まっているところへ、老いさらばえて戻ってくる。どうして帰ったかと訊けば、人々に会いたかったからだと答える。「さらばまた行かん」と言い残して、再び行き失せるという話である
▼この話の冒頭には「黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあうことは他(よそ)の国々と同じ」とあり、薄暗くなってから、か弱い者が出歩くのは危ないという、ある種の教訓談ともなっている
▼クアラルンプール発北京行きのマレーシア航空機が3月8日、それこそ忽然と消息を絶った事件は、半月以上経ったいまもはっきりとした手がかりがつかめていない。まさに現在の「神隠し」とでも呼びたくなる。消息を絶ってからの飛行状況の異常さも断片的に明らかになりつつあり、謎は深まる一方だ。いったい何が起きたのか、想像を巡らせるだけでもぞっとさせられる。搭乗されていた方々が感じたであろう恐怖や不安を思えば、言葉もない
▼おそらくそこには、私たちを納得させる教訓もすぐには生まれてきそうにない。239人の乗員・乗客が巨大な器ごと姿を消す事の重大さを思えば、とても神慮に基づくいたずらでは済まされない。「寒戸の婆」のごとく、そう遠くないいずれかのとき、無事戻ってきてくれたらと願わずにはいられないが、それも時が経つにつれ難しくなる。現在、世界をあげての捜索活動が繰り広げられているが、「神隠し」に終わることなく、科学的な見地からの徹底的な解明が待たれる。

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