コラム「復・建|日刊紙 日刊建設タイムズ

  1. ホーム
  2. コラム「復・建」

2023/05/25

親鸞生誕850年

▼親鸞といえば、真っ先に鎌倉時代後期の仏教書「歎異抄」にある、あの有名な一文を思い出す。「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。ひどく興味を掻き立てられる一文で、教科書などにも必ず載っていた
▼今年は、この浄土真宗の宗祖・親鸞(1173~1262)の生誕850年にあたり、ゆかりの地・京都などでは記念の法要やイベントが開かれ、賑わいを見せているという
▼親鸞の一生はまさに激動の人生だった。自然災害が頻発し、平氏と源氏が争う平安時代の終わりごろに生まれた。9歳で出家し僧侶になり、比叡山で20年修行に打ち込んだものの、救いを得られず29歳で下山。京都の質素な住まいで専修念仏を説く法然に弟子入りした
▼法然との出会いは親鸞にとって運命的なもので、入門から4年ほどで優れた弟子として認められたが、2年後の1207年に専修念仏が禁止され、越後(新潟)に流罪となった。四国に流された法然とはその後、二度と会えなかった
▼1211年に流罪を許されると、14年ごろから関東に移り、常陸(茨城)で布教に励み、24年ごろ浄土真宗の根本聖典「教行信証」を執筆したと言われる
▼親鸞は自らを「愚禿」と呼び、当時は宗教ではほとんど禁じられていた肉食や妻帯もした。自らに厳しいが、どこか人間臭さも感じさせる親鸞。そんな自分も含めて誰もが仏の救いを信じることで極楽浄土へ行けると、身をもって示したとも言える
▼冒頭に書いた「歎異抄」の一文はこれに通じる教えで、一般に「悪人正機説」と呼ばれる。ここで言う善人とは、自分の力で修行や善行をすることができる人。悪人とは、日々煩悩にとらわれてしまい、自分の力で悟ることのできない人を言う
▼悪人こそ阿弥陀仏の救いの主対象であり、彼らこそが救われるとし、だからこそ、悪人こそ阿弥陀に救済されることを信じて、ひたすら念仏を唱えるべきと説いた。こうした親鸞の教えは、混迷の時代に生きる現代の私たちの心にも深く響くものがあるように思える。

会員様ログイン

お知らせ一覧へ